信託型SOのその後と、新しいインセンティブプラン(有償SO・RSU)

インセンティブ報酬の「戦国時代」へ

日本のスタートアップにおけるインセンティブ設計は、長らく「税制適格ストックオプション」の一強時代が続いていました。しかし、ここ数年でその景色は劇的に変化しました。より柔軟な設計を求めて登場した「信託型ストックオプション」が一大ブームを巻き起こしたかと思えば、国税庁による課税ルールの明確化によって急ブレーキがかかるというドラマチックな展開を見せました。

この「信託型ショック」を経て、経営者や実務家の関心は、安全かつ効果的な代替手段へと向かっています。現在では、従来からある「有償ストックオプション」が見直されたり、アメリカのテック企業では当たり前の「RSU(Restricted Stock Unit)」が日本法の下で導入されたりと、まさにインセンティブ報酬の戦国時代とも言える多様化が進んでいます。

経営者にとって重要なのは、流行りのスキームに飛びつくことではありません。それぞれのスキームが持つ「リスク」と「リターン」、そして「誰に向けたメッセージなのか」を正しく理解し、自社のフェーズに合わせて最適な組み合わせを選択することです。本記事では、激動のトレンドを整理し、これからのスタンダードとなる報酬設計の羅針盤を提示します。

1. 「信託型SOショック」とは何だったのか?

まず、時計の針を少し戻して、業界を揺るがした「信託型ストックオプション問題」について振り返ります。この経緯を理解することは、税務リスクの本質を知る上で非常に重要です。

信託型ストックオプションとは、会社が発行したストックオプションを、一旦「信託」という器(プール)に預けておき、後から貢献度に応じて従業員にポイントを付与し、上場時などにそのポイントに応じてストックオプションを分配するスキームです。この仕組みの最大のメリットは、誰に渡すかを後出しジャンケンで決められる点にありました。通常のストックオプションは発行時点で「誰に何個」と決めなければなりませんが、信託型であれば、入社後の活躍を見てから配分を決めることができるため、実力主義のスタートアップにとって非常に使い勝手の良い制度として普及しました。

さらに、当時の解釈では、信託という器を経由することで、従業員にかかる税金は「給与所得(最大約55%)」ではなく「譲渡所得(約20%)」で済むと考えられていました。柔軟な配分ができて、かつ税金も安い。まさに夢のようなスキームとして、数百社以上のスタートアップが導入しました。

しかし、2023年5月、国税庁は新たな見解を示しました。それは「信託型ストックオプションから得られる利益は、実質的に給与として扱われるべきである」というものでした。つまり、最大約55%の税率が適用されると判断されたのです。しかも、これから発行するものだけでなく、過去に発行されたものにまで遡及して適用される可能性が示唆され、すでに上場して利益を得ていた企業や個人に多額の追徴課税が発生するリスクが浮上しました。

この発表により、信託型ブームは終焉を迎えました。現在では、一定の厳格な要件を満たせば約20%の課税で認められる「セーフハーバー・ルール」が整備されましたが、導入・維持コストが高額になることや、設計の難易度が高いことから、初期のスタートアップが気軽に導入できるものではなくなりました。この事件が残した教訓は、税務上の「グレーゾーン」を攻めるスキームは、後から梯子を外されるリスクと隣り合わせであるという冷厳な事実でした。

2. 有償ストックオプション(時価発行新株予約権)の再評価

信託型に代わる選択肢として、改めて注目を集めているのが有償ストックオプションです。これは決して新しい仕組みではなく、古くから存在するオーソドックスな手法です。

通常のストックオプション(無償ストックオプション)は、従業員が会社から「タダ」で権利をもらいます。これに対し、有償ストックオプションは、従業員や役員が、その権利の公正な価値(オプション料)を会社にお金を払って「購入」する仕組みです。例えば、権利1個あたり100円といったプライシングがなされ、1万個欲しければ100万円を会社に振り込む必要があります。

なぜわざわざお金を払ってまで権利を買うのでしょうか。最大の理由は税務上の安全性にあります。自腹を切ってリスクを取り、金融商品として購入しているため、そこから得られる利益は「労働の対価(給与)」ではなく「投資の利益」とみなされます。したがって、税制適格要件を満たしていなくても、売却益は譲渡所得(約20%)として扱われます。

この特徴は、税制適格ストックオプションが出せない相手に対して非常に有効です。例えば、持ち株比率が3分の1を超えるオーナー社長や、社外の協力者、あるいは税制適格の年間限度額(最大3600万円〜6000万円)を超えてさらに権利を付与したいCxOクラスなどが対象となります。彼らは一定のリスク(購入代金)を負うことになりますが、その分、アップサイドの果実を低い税率で享受できるというフェアなトレードが成立します。

ただし、導入に際しては「公正な評価額(オプション料)」の算定が肝となります。安すぎれば「実質的な贈与」とみなされて課税リスクが発生し、高すぎれば従業員が買えません。専門の評価機関による算定が必要となるため、数十万円から数百万円のコストがかかる点は留意すべきです。

3. グローバルスタンダード「RS(Restricted Stock)」と「RSU」

ストックオプション(権利)ではなく、株式そのものを報酬として渡す仕組みも急速に普及し始めています。それがRS(譲渡制限付株式)RSU(事後交付型株式)です。GoogleやAmazonなど、米国のテック企業ではこちらが主流であり、日本でもメルカリ等の先進企業が積極的に導入しています。

まず、ストックオプションとの決定的な違いを理解しましょう。ストックオプションは「値上がり益」しか得られません。株価が行使価額を下回れば価値はゼロになります。一方、RSやRSUは「株式そのもの」をもらえるため、たとえ株価が下がっても、株価がゼロにならない限り資産価値が残ります。この「価値がゼロになりにくい」という特徴は、すでに時価総額が高くなり、これ以上の急激な株価倍増が見込みにくいレイター期や上場後の企業において、従業員のリテンション(引き留め)施策として極めて強力です。

RS(Restricted Stock:譲渡制限付株式)は、今の日本の会社法でも比較的導入しやすい制度です。会社が従業員に金銭債権(ボーナスなど)を支給し、従業員がそのお金を会社に現物出資することで、代わりに株式を受け取ります。ただし、「3年間は売ってはいけない」「退職したら没収」といった譲渡制限が付いているため、すぐに現金化することはできません。従業員は「株主」としての議決権を持つため、当事者意識が高まるメリットがありますが、受け取った時点で(まだ売れないのに)所得税がかかる場合があるなど、税務上の取り扱いには注意が必要です。

一方、RSU(Restricted Stock Unit:事後交付型株式)は、もう少し使い勝手が良い仕組みです。これは「条件(勤続年数など)を満たしたら、将来株式をあげますよ」という約束(ユニット)を付与するものです。RSとは異なり、付与された時点では株は手に入りません。条件達成後、実際に株が交付されたタイミングで初めて課税されます。従業員にとっては、株を手に入れるのと同時に納税義務が発生するため、一部の株を売って納税資金に充てるといった対応がしやすく、キャッシュフローの観点でRSよりも優れています。

日本においても法解釈の整理が進み、RSUのような「事後交付」の仕組みが導入可能になりました。特にグローバルに展開し、海外の人材を採用したいスタートアップにとっては、世界共通言語であるRSUを用意しておくことは、採用競争力を高める必須条件となりつつあります。

4. フェーズ別・最適なインセンティブプランの選び方チャート

多様な選択肢が出揃った今、自社はどれを選ぶべきなのでしょうか。企業の成長フェーズごとに推奨されるポートフォリオ(組み合わせ)を整理します。

① シード・アーリー期(創業〜シリーズA前後) このフェーズの正解は、シンプルに「税制適格ストックオプション」の一択です。 企業価値がまだ低く、将来のアップサイド(伸び代)が大きいため、ストックオプションの「レバレッジ効果」が最大化します。従業員にお金を払わせる有償SOや、株価計算が複雑なRSなどは時期尚早です。まずは税制適格の枠を最大限活用し、初期メンバーに夢を見せることが最優先です。

② ミドル・レイター期(シリーズB〜IPO直前) 組織が拡大し、多様な人材が入ってくるこの時期は、「税制適格SO」+「有償SO」のハイブリッド型が有効です。 基本的には税制適格SOを使いつつ、年間限度額を超えるような高額報酬が必要なCFOや、アドバイザーなどの社外協力者には有償SOを組み合わせて提供します。また、上場が見えてくると株価も上がってくるため、ストックオプションの行使価額が高くなりすぎ、魅力が薄れる場合があります。その場合は、入社時の株価に左右されず価値を提供できるRSUの導入検討を始めると良いでしょう。

③ IPO後・上場企業 上場後は、株価のボラティリティ(変動)が安定してくるため、ストックオプションの魅力が相対的に低下します。代わって主役となるのが「RS(譲渡制限付株式)」や「RSU」です。 既存社員に対して、「長く働き続ければ確実に株がもらえる」という安定的な報酬を提供することで、離職を防ぎます。また、役員報酬の一部を株式報酬(RS)に置き換えることで、株主との利害一致(同じ船に乗る)をアピールすることも一般的です。

5. 税制改正による「プール信託」など新スキームの可能性

最後に、今後の展望について触れておきます。信託型SOショック以降、国や実務家たちは「安心して使える、柔軟なインセンティブ制度」の構築に向けて動き続けています。

その一つが、2024年の税制改正に関連して議論されている新たなプール運用の枠組みです。詳細な制度設計は現在進行形ですが、将来的には「一度発行したストックオプションを会社が取得・保有し、それを新たな対象者に再付与する」といった柔軟な運用が、税務リスクなしに行えるようになる可能性があります。これが実現すれば、信託型SOが目指していた「後決め」のメリットを、より安全な形で享受できるようになるでしょう。

スタートアップの報酬設計は、もはや人事部だけで完結する話ではありません。CFO、法務、そして経営者が一体となって、法改正の動向をウォッチし、最適な「報酬のポートフォリオ」を組み替えていく柔軟性が求められます。

まとめ

トレンドは移り変わりますが、本質は変わりません。それは「リスクを取って挑戦する人間に、適切な報いを用意する」ということです。

基本は、王道の「税制適格SO」を使い倒すこと。

それではカバーできない対象(社外協力者・大口付与者)には「有償SO」で補完すること。

安定期やグローバル採用には「RS/RSU」という武器を持つこと。

流行のスキームに惑わされず、自社のフェーズと採用戦略に最もフィットした制度を選ぶことこそが、最強の組織を作る第一歩です。