採用力を最大化する「SOの魅せ方」とオファーレターの書き方

多くのスタートアップが、制度設計や登記といったハード面には多大なコストをかける一方で、それを従業員に伝えるソフト面、すなわちコミュニケーションを軽視してしまう傾向にあります。しかし、ストックオプションは、従業員にとっては現在の給与を犠牲にして得るかもしれない「未来の対価」です。その価値が不明瞭なままで、リスクを取って転職を決意できる人は稀でしょう。

採用競争が激化する現代において、ストックオプションは単なる福利厚生ではなく、他社との差別化を図る最強の武器になり得ます。ただし、それは「正しく伝えられた場合」に限ります。本記事では、候補者の入社意欲を劇的に高めるオファーの出し方から、入社後のモチベーション維持、そして退職時のトラブルを防ぐための出口戦略まで、人事・採用担当者が知っておくべきコミュニケーションの鉄則を解説します。

1. 採用競合に勝つための「オファーレター」とSO説明資料

採用のクロージング段階で提示されるオファーレターには、通常、ストックオプションの「個数」や「比率」が記載されています。「あなたには新株予約権を100個付与します」あるいは「発行済株式数の0.1%を付与します」といった記述です。しかし、多くの候補者にとって、この数字は単なる記号に過ぎません。その会社の発行済株式総数が何株で、現在の株価がいくらで、将来どれくらいになる見込みなのかが分からなければ、100個という数字が多いのか少ないのか判断できないからです。

候補者の心を動かすためには、個数ではなく想定金額(キャピタルゲイン)で語る必要があります。オファーレターとは別に、一枚の補足資料(SOシミュレーションシート)を用意することを強く推奨します。そこには、現在の事業計画に基づいた「上場時の目標時価総額」と、その目標を達成した場合に「あなたの持っているストックオプションが、税引き前でいくらの価値になるのか」を具体的な金額で明記します。

例えば、「基本給は年収600万円ですが、4年後に時価総額300億円で上場するという保守的なシナリオでも、あなたのストックオプションは約2000万円の価値になります。これを4年で割れば、実質的な年収はプラス500万円の価値があるオファーです」と説明されたらどうでしょうか。提示額のインパクトは全く異なります。もちろん、これは確約された未来ではありませんが、会社が目指している頂の高さと、そこに対する分配の意思を明確に示すことで、候補者は初めて「自分事」としてリスクとリターンを天秤にかけることができます。

さらに、アップサイドのシナリオだけでなく、ダウンサイドのリスクについても誠実に伝えることが信頼につながります。「もし上場できなかった場合は価値がゼロになる可能性があること」や「上場承認が降りるまでは換金できないこと」を隠さずに説明します。メリットとデメリットの両方を提示した上で、それでも「一緒に夢を追いたい」と思わせるストーリーテリングこそが、スタートアップ採用の真髄です。

2. 社内コミュニケーションと金融教育

無事に入社が決まり、ストックオプションを付与した後も、コミュニケーションを止めてはいけません。むしろ、入社後こそが本番です。なぜなら、日々の業務に追われる中で、従業員はストックオプションの存在や価値を忘れてしまいがちだからです。

定期的に全社ミーティングなどで、資本政策やストックオプションに関する勉強会を開催することが重要です。特にエンジニアやデザイナーなど、金融知識に詳しくないメンバーに対しては、基礎的なリテラシー教育が必要です。「なぜ株価が上がるのか」「時価総額とは何か」「自分の仕事がどうやって企業価値向上につながるのか」を噛み砕いて解説します。これにより、目の前の開発やデザインが、単なる作業ではなく、自分たちの保有資産の価値を高めるための投資活動であるという認識を持たせることができます。

また、資金調達のタイミングは、ストックオプションの価値を再認識させる絶好の機会です。「今回のシリーズB調達によって株価が前回から2倍になりました。つまり、皆さんが持っているストックオプションの潜在価値も2倍になったということです」とアナウンスすることで、会社の成長を我が事として喜ぶ空気が生まれます。

ただし、過度な期待を煽りすぎることは禁物です。あくまで「未実現の利益」であり、絵に描いた餅であることには変わりありません。「上場すれば金持ちになれる」という金銭的欲求だけを刺激すると、組織の風土が殺伐としたり、上場が延期になった際の失望感が大きくなったりするリスクがあります。ストックオプションはあくまで、ビジョン実現の副産物であるというメッセージを一貫して発信し続けるバランス感覚が求められます。

3. Good Leaver(円満退職者)とBad Leaverへの対応

人事担当者が最も頭を悩ませるのが、ストックオプションを持った従業員が退職する際の取り扱いです。従来の日本の慣行では、退職した時点で未行使のストックオプションはすべて失効(没収)するという契約が一般的でした。しかし、このルールは現代の働き方に合わなくなってきています。

例えば、創業期から5年間会社に貢献し、事業の基盤を作った功労者が、家庭の事情や新たなキャリアのために上場前に退職することになったとします。この人物に対して「辞めるなら全ての権利を置いていけ」と言うのは、あまりに酷であり、フェアではありません。こうした「会社に貢献して円満に退職する人」をGood Leaver(グッド・リーバー)と定義し、退職後も一定期間は権利を保持し続けられる、あるいは退職時に権利を行使して株式として持ち出せるようにする設計が増えています。

これを可能にするのが「べスティング(権利確定)」の概念です。在籍期間に応じて確定した権利(Vested)については、退職後も持ち出しを認めるという考え方です。これにより、従業員は「もし上場前に辞めることになっても、今まで積み上げた分は無駄にならない」という安心感を持って働くことができます。また、退職したOB・OG(アルムナイ)が会社の株主であり続けることは、彼らが外の世界で会社のファンや宣伝マンとして活動してくれる動機付けにもなります。

一方で、懲戒解雇や競合他社への悪意ある転職など、会社に損害を与える形で辞めるBad Leaver(バッド・リーバー)に対しては、確定した権利であっても没収できる条項を契約書に盛り込んでおく必要があります。性善説に立ちつつも、最悪の事態に備えた防衛策を用意しておくことが、残された社員や株主を守ることにつながります。どこまでをGoodとし、どこからをBadとするか、その線引きを明確にし、入社時の契約段階で合意形成を図っておくことが、後々のトラブルを防ぐ唯一の道です。

4. 既存社員への追加付与と不公平感の解消

組織が拡大するにつれて必ず直面するのが、「古参社員」と「新規入社社員」の間の待遇格差、およびストックオプションに関する不公平感です。

創業初期のメンバーは、給与は低かったものの、リスクを取った対価として多くのストックオプション(例えば1%など)を持っています。一方、シリーズB以降に入社したメンバーは、市場水準の高い給与をもらっている代わりに、ストックオプションの付与数はごくわずか(例えば0.05%など)です。この両者が混在すると、「あいつは昔からいるだけで大金持ちになれる」「あの人は給料が高すぎる」といった相互の嫉妬や不満が生まれやすくなります。

この溝を埋めるための施策の一つが、リフレッシュ・グラント(追加付与)です。初期メンバーであっても、4年程度のべスティング期間が終われば、新たに権利が確定することはなくなります。そこで、引き続き高いパフォーマンスを発揮している社員には、新たなストックオプションを追加で付与します。これにより、「過去の遺産」で働いているのではなく、「現在の貢献」に対して報われているという状態を作り出します。

逆に、新規入社者に対しても、入社時の付与だけでなく、昇格や成果に応じた追加付与のチャンスがあることを明示します。「入社時期が遅かったからもう遅い」と諦めさせるのではなく、これからの頑張り次第で十分にキャピタルゲインを得られる機会があることを制度として担保するのです。

また、不公平感を解消するためには、全社員に対して「トータルリワード」という考え方を浸透させることも有効です。トータルリワードとは、基本給、賞与、福利厚生、そしてストックオプションを含めた「報酬総額」のことです。初期メンバーは「現金(給与)は少ないが株式報酬が多い」、新規メンバーは「現金は多いが株式報酬は少ない」。構成要素は違えど、会社が支払っているトータルリワードの価値は公正に設計されているということを、視覚的なグラフなどを用いて説明し、納得感を醸成する努力が不可欠です。

5. モチベーション維持のための定期的な価値喚起

ストックオプションは、一度渡して終わりではありません。権利行使までには数年から10年近い長い年月がかかることもあります。その間、従業員のモチベーションを維持し続けるためには、定期的なメンテナンスが必要です。

効果的なのは、半年に一度や一年に一度、「報酬通知書」のような形式で、個々人が保有しているストックオプションの最新状況を通知することです。「現在、あなたは〇個の権利を保有しており、そのうち〇個が権利確定(べスティング)済みです。現在の推定評価額は〇〇万円です」といった情報を個別にレポーティングします。

人間は目に見えないものを意識し続けることはできません。通帳の残高のように、自分の資産が増えていることを定期的に可視化してあげることで、日々の業務のモチベーションにつなげることができます。また、こうした通知を行うタイミングで、改めて会社のビジョンや上場に向けたロードマップを共有し、「この資産を現金化できるゴールまで、あとこれくらいの距離だ」という現在地を示すこともリーダーの役割です。

まとめ

採用や組織開発において、ストックオプションは魔法の杖ではありません。ただ制度があるだけでは、優秀な人材は採用できませんし、社員のエンゲージメントも上がりません。重要なのは、その制度に込められた「経営の意志」を、相手に伝わる言葉で翻訳し、伝え続けることです。

オファーレターでの魅力付け、入社後の金融教育、退職時の誠実な対応、そして既存社員への公平な追加配分。これらすべてのタッチポイントにおいて、一貫したメッセージを発信し続けることが人事の使命です。「私たちは、成功の果実をあなたと分かち合いたい」。その想いが伝わった時、ストックオプションは初めて、契約書の枠を超えた「同志の証」となるのです。